志を遂げるために命を燃やし、29歳でこの世を去った維新の「精神的指導者」・吉田松陰
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第17回 ~吉田松陰~
続いて、十二運星を読み解いていく。
○「長生(ちょうせい)」
上品、おしゃれ、順応性が高く、穏やかな性格。とにかく他人から信用される。
松陰が藩主・毛利敬親の前で兵学について初めて講義をしたのは11歳の時。その素晴らしさを称え、その後もたびたび御前講義を行ったという。また、毛利敬親の後ろ盾で、江戸遊学にも訪れている。人から信用される性格だったのだろう。
また、「食神」と「長生」を合わせ持っているが、これは「話したことは信用される」という意味。松下村塾といい、御前講義といい、言葉に相当な説得力があったのだろう。
○「墓(ぼ)」
ご先祖との縁が深く、探究心旺盛な星。仏教を研究するのが好き。
「松下村塾記」に、松陰が「学は、人たる所以を学ぶなり」と記していることにうかがうことができるように、学問とは何か、人間とは何か、人間はいかにしてあるべきかを問い続けた。命を持って自分の考えを伝える、それが探究心旺盛な松陰の出した答えだったのだろうか?
○「死(し)」
神通力があり、ウソを見抜ける。直観力があり。霊感がある。ヒラメキがあり、ゼロから何かを作れる星。
松陰の行動を今の私の立場から見ると「もったいない」という気がしてならない。「知らぬ存ぜず」を通していれば、安政の大獄で処刑されることもなかっただろうに。しかし、少し見方を変えると、松陰があの時、死を選ばなかったら、松下村塾の塾生たちが奮起することはなく、明治維新も成し遂げられなかったのかもしれない。高杉晋作らが英国大使館焼き討ち事件を起こし、久坂玄瑞らが蛤御門の変を起こす等、長州藩士が目立った行動を起こさなければ、坂本龍馬の目に止まることなく、薩長同盟が締結されることもなかったのではないか。実際、松陰がそこまで考えていたかはわからないが、松下村塾の生徒のほとんどが、その名を現代に轟かせているところを見ると、才能を見抜く直観力を持ち合わせていたのだろう。
改めて松陰の生涯を振り返ると、なんと気違いじみた行動を繰り返したのだろう。今や「聖人君子」と崇められる松陰だが、当時にしたら前科5犯の犯罪者である。結果、松陰はわずか29歳でこの世を去っている。(驚くことに、今の私と同じ年である。)人生を謳歌し、散りぬべき時を知っていた松陰。自分の志を遂げるために、遊び心を持って正直に生きるその精神は、現代の私達にも学べることである。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いてグレゴリオ暦に換算し鑑定している。
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。
【参考文献】
「吉田松陰」川口雅昭 致知出版社(2010)
「吉田松陰の主著を読む」北影雄幸 勉誠出版(2014)